「教育」ではなく「学習」を目指そう
私たちは、何かを学ぶ際に、教育という概念が染みついてしまっている。
それは小学校から大学まで十数年に渡り、教育を受け続けてきたためだ。
社会人になってからも、教育がつきまとう。新人研修から始まり、役職研修・技能研修、コンプライアンス研修から情報セキュリティ研修に至るまで、全て会社から強制的に受けさせられる教育システムだ。
これらの研修プログラムは、会社の中の一組織人として機能するためには、もちろん必要なものである。しかし、人事部門が懸命に社員たちを鼓舞し、これらの研修プログラムを強制的に受講させたとしても、効果はたかが知れている。社員たちは常に受け身であり、彼らの人生にとって優先順位の低い事項だからだ。
教育と学習の違い
教育という漢字は、”教え育てる”と書く。これは教える側の立場の言葉であり、学ぶ側の立場の言葉ではない。主導権は常に教える側にあり、学ぶ側は受動的になる。教育という言葉には、学ぶ側の主体性は含まれていない。
対して、学習という言葉は、”学び、習う”と書く。この言葉の主体は、学ぶ側にある。何を学ぶのか、そしてどうやって学ぶのかを選択する権利は、学ぶ側にある。つまり学習は、指示や命令に従って教わるのではなく、自らの意思で学ぶことを第一義に置いている。
また、教育は対象者全員のスキルの底上げを基本としており、均一化を目指す。逆に学習は、自らの得意分野を持つことが目的であり、ユニーク性・卓越性を目指す。
仮に学ぶ中身は同じだとしても、教育と学習では、その効果に大きな違いがあることは容易に想像できると思う。
日本の教育システムの弊害
日本の教育システムの最大の弊害は、”何故(Why)” が無いことだ。
・何故、この知識が必要なのか、
・このスキルを身に着ければ、どんな世界が開けてくるのか
といった最上位概念の説明がないままに、降り注ぐような大量の情報と技法を詰め込まれる。
数学・物理・歴史を学ぶ意味と意義を、生徒に分かりやすく伝えられる先生は残念ながら数少なく、テストによく出る暗記事項と問題の解き方を教えるだけに留まっている。
企業の研修プログラムも同様だ。何故、この研修を受けなければならないのか、という合理的な説明に乏しい。だから、社員たちは仕方なく受講する。従って、どんなに優れた研修内容でも直ぐに忘れられてしまう。
ただ、受講したという事実が履歴に残るだけだ。
学習する組織への転換
企業の社員たちが自ら進んで学習しようとするカルチャーは、どうやって醸成されるのだろうか?
答えは、キャリアパスの提示にある。
社員たちにとって、
・将来どんなキャリアのルートがあるのか
・そのルートを進むためには、どんな知識・スキル・経験が必要なのか
ということを、会社側が示してあげることだ。
将来の道筋を示してあげることで、個々の社員は自身の人生設計がしやすくなる。何に対して頑張ればよいか、時間を使えばよいか、ということが見えてくる。頑張る目標が定まれば、必然的に学習意欲が湧いてくるはずだ。
今は価値観が多様化している時代だ。キャリアパスは一つ(単線型)ではなく、複数の選択肢がある複線型キャリアパスを提示することをお薦めする。それによって、事業の縮小・拡大に伴う社員の再配置にも対応できるようになる。
組織を構成する社員たちが、学習しようとする意欲を持つようになると、その組織は俄然強くなる。新しい知識や技術への感度が高まり、変化対応力がついてくるからだ。
「学習する組織」への転換、これからの日本経済の大きなテーマになってくると考えている。
FIN. June 3rd, 2022