リスクについて考える
昨今、リスクという言葉をよく聞くようになった。
政治の世界でもビジネスの世界でも、医療の現場でも、そして人間関係や日常的な会話においてさえも、リスクという言葉が日常的に使われている。このリスクという言葉は、総じて人を不安にさせてしまう。時には、明らかに恐怖心を煽るためだけに使っている場面もあり、不快感を覚えることもある。
ビジネスの場面でよくあるのは、何か新しいことを提案したり、他社と違うことをやろうとしたら、「リスク」「リスク」の大合唱が始まる光景である。その声は、現状と変えたくない既得権益を持つ組織や、保守的な考えの人たちから発せられる。リスクがあると言えば、反対意見が通りやすいという風潮があるかごとく。
また自らの行ったことを正当化するための弁明や言い訳の際にも使われる。「リスクを避けるために私はこういう処置を行ったのだ」と。
間違った言葉の使い方もある。当然起こりえる事象に対しても、リスクがあると言う。リスクとは、本来起きるか起きないか不確定な事象のことなのだが・・・。
リスクという言葉はネガティブに聞こえがちだが、もとはポジティブなケースに使われる用語だ。本来は、物事を前に進めるための有効な思考手段である。あまりにも残念な使われ方をされすぎているので、この場でリスクという言葉の意味を正確に理解していきたいと思う。その上で、ビジネスの世界におけるリスクの捉え方と考え方について考察していくこととしたい。
リスクの定義と、リスクマネジメントの定義
リスクの定義は、「将来起こる可能性のある不確実な事象であり、かつ当事者にとって好ましくない不都合な事象」である。つまり未来のある時点で、何らかの不都合なことやダメージとなることが、もしかしたら起きるかもしれないし、起きないかもしれないという不確実性の高い事象を指す。誰にでもある経験で、何となく嫌な予感がすることがあるだろう。それはリスクの予兆である。そしてある時間の経過後、予感通りに嫌な事が起こればリスクが顕在化したことになる。何も起こらなければ、思い過ごしということだ。予兆を感じた際に、やばいと思うことは、起きたときの影響を考えていることであり、リスクの評価という用語が当てはまる。ビジネス的に言えば、リスクの発生確率や影響度合いを評価して、発生した際の対処方法を検討、そして何らかの手を打つまでが一連のプロセスで、そのプロセスの総称をリスクマネジメントと言う。
分かりやすい例として、毎年冬の時期が近くなると対策が叫ばれるインフルエンザを考えてみよう。インフルエンザ流行をリスクと捉え、国家と個々人がそれぞれの視点で、毎年リスクマネジメントを行っていると見なせる。国家は、流行リスクを最小限にするために、国内外の流行状況やこれまでのワクチン株の有効性について、リスク評価を行っている。そしてその対策として、当年度製造するワクチン株の種類とその生産量を決定している。一人ひとりの国民視点では、自身の罹患経験や家族や仕事への影響リスクを評価し、今年度のワクチン接種の受診如何を決定するのが望ましい姿だ。インフルエンザが国内で大流行したり、個々人が罹患するようなことになれば、リスクが顕在化したということになる。
ここで気を付けなければならないことは、ワクチン接種は、インフルエンザの流行リスクに対処するための一手段にすぎないということだ。ご承知のようにインフルエンザに罹るリスクを避ける手段は、他にも複数あることを念頭に置いておく必要がある。
またインフルエンザに罹るリスクの大きさは、人によって違う。休めない重要な仕事に従事している人にとってはリスクが大きいが、抗体を持っていて長年インフルエンザに罹ったことのない人にとってのリスクは小さいはずだ。
つまりリスクマネジメントとは、個々の置かれた状況を踏まえた客観的なリスク評価と適切な対応策を講じることである。対応策の一つとして、リスクが極めて小さい場合は、何もしないという選択肢もあることを知っておこう。
リスクマネジメントは「危機管理」と訳されている文章を見かけるが、これは間違いだ。危機管理は、英語にするとCrisis Managementとなる。Risk Managementとの違いが見て取れると思う。危機的な状況が発生した後に、対応策も含め如何にコントロールするか、というのが危機管理の定義である。リスクマネジメントを和文にすれば、「不測の事態に対する備え」といったニュアンスが正しいだろう。
リスクマネジメントと危機管理、どちらも概念的な用語であるが、時間軸の捉え方が全く違うので、使い方を間違えないようにしておきたい。「将来を見て今何をすべきか考える」のがリスクマネジメントであり、「今を見てこれから何をすべきか考える」のが危機管理である。
リスクという概念が、必要のない時代から求められる時代へ
こうして説明していくと、リスクマネジメントなどといった小難しい用語を使わなくとも、誰もが意識せずとも自然にやっていることではないか、という意見が出てくるはずだ。
その通りだ。ただし、経験則が活かせるケースにおいてに限られる。
難しいのは、経験則が活かせないケースに対してリスクマネジメントを行うことだ。経験が無いことに対して、将来の状態を予測して、不都合になりそうなことを未然に排除する。それに向き合わなければならないケースが、ビジネスの世界でも政治の世界でも近年莫大に増えてきたのだ。
昭和の時代から平成の初期まで、ビジネスの世界において、リスクという言葉は(一部の金融機関を除き)ほとんど使われることはなかった。何故なら、常に経験則を活かせたからだ。社会経済全体が拡大していたため、どの業界においても横並びに同じをやって競争していれば成長することができた。事例は常にどこかにあった。新しいことは常に先進国の欧米から学んでいた。将来起こるかどうかも分からない都合の悪いことは考える必要は無く、まず真似してやってみて、試行錯誤を重ねて成功を目指せばよかった。リスクという概念は不要だったのだ。
それが大きく転換したのは平成のバブル崩壊以降だ。世界のどの国も経験したことのない不況下での対応を迫られた。加えて情報テクノロジーの台頭により、加速度的にビジネスの変化対応力を求められるようになった。先例に学ぶ、事例に学ぶといったのんびりとした姿勢では、ビジネスの敗者になってしまいかねない。日本の企業はその危機感に、30年以上も苛まれ続けているのだ。欧米は失敗を恐れず新しいことにチャレンジすることが評価される文化であり、それには当然リスクが付きまとうから、リスクという概念が古くから身に沁みついている。日本国内でリスクという言葉が聞こえてくるようになったのは、先例に学べないこの苦しい平成時代以降だ。
リスクに対して求められる経営者の姿勢
コンサルタントとして現場に立つと、相変わらず事例を求めるオールドスタイルの経営者達が未だに多い。口ではチャレンジと言っていながら、一番手で失敗することを恐れ、先行者に追随しようとする姿勢に直面すると、非常に残念な気持ちになる。
新しいことにチャレンジすることは常にリスクを伴う。誰もがやったことのないことに対して、リスクを洗い出すのは困難なことである。しかしそれに目を背けてはいけない。実行の当事者は思いが強いので、客観的にリスクを洗い出すのは限界がある。知恵者が結集して、リスクを洗い出し、未然に防ぐ手立てを考えるべきだ。
経営者の仕事は、リスクを考えることでも、その是非を判断することでもない。特に新たなチャレンジの際は、自身の経験則に基づく判断は危険だ。経営者に上申される過程で、リスク評価のプロセスが組織として行われていることを確認することが第一の仕事だ。
第二の仕事は、チャレンジを実行しなかった時のリスクについて考えることだ。「あの時にやっておけば良かった」と後悔した経験は誰もがあると思うが、意思決定の際に、やらなかったらどうなるかというリスクを考えるケースは、極めて稀だ。時代の変化が速くなった昨今、時すでに遅し、ということにならないようにするのが経営者の重要な役割である。
そして最後の仕事は、新しいチャレンジに対して背中を押してあげることだ。過度にリスクを恐れることなく、リスクを承知の上で前進する姿勢、それがこれからの時代に求められている。
FIN. January 28th, 2022