目的と手段

ビジネスでは、目的と手段を履き違えることがよくある。手段であるにも関わらず、それを目的化してしまっているケースもあれば、目的が無く手段だけ提示されているというのも散見される。
何故そうなってしまうのか。どんなときに起きてしまうのか。誰もが陥りがちな思考の罠について考察していく。

売り手と買い手の目線の違い

世の中にある企業は、手段を提供することを生業としている。自動車メーカーは移動手段を提供している。食品メーカーの商品は、生きるための栄養補給手段だ。医療行為は病気を治すための一つの手段である。ITを活用したソフトウェアやサービスは、コミュニケーションの手段、もしくは業務効率化・自動化のためのツールだ。つまり、企業が販売する商品・サービスは、基本的に顧客に手段を提供することにより対価を得るというモデルである。 

では、買う側である顧客の立場はどうか。顧客が何かしらの商品やサービスを購入する場合には、必ず目的がある。医療を例にすると、患者は何かしらの痛みや身体の支障があって、それを解決したいというのが目的だ。その目的の上で、顧客は治療という手段を購入している。企業からコンサルタントの依頼がある場合も同様で、会社の問題解決という目的があり、コンサルティングという手段を購入している。自動車や食品のような物品には、欲しいという顧客のニーズがあり、それを満たす目的のために顧客は物品を購入する。つまり、顧客には購入行為の前に、強い目的意識が常にある。その当たり前のことを、売り手側はつい忘れてしまうのだ。

手段が目的化されてしまう罠

顧客は常に目的から入ってくるのに対して、売る側は売り物である手段がベースにあるという目線の違いが原因だ。売り手にとって、商品・サービスという自社の手段が売れないと存続できないから、どうしても手段先行の思考回路に陥ってしまう。売上をもっと上げるためにどうすべきか・・・これは主として営業・マーケティングの仕事であり、それらの施策は手段そのものだ。手段である商品・サービスに対して、さらに売り方という手段を重ね合わせることになってしまう。営業・マーケティングの施策を実行に移すためにより手段が細分化されていき、結果として顧客が最も大事にしている目的からどんどん遠くなってしまうのだ。手段が目的化されてしまう所以はここにある。

もちろん経営者達もその罠に気づいている。だからこそ、お客様のニーズとか課題解決とかいった用語を頻繁に使い、社員に意識させようとする。事業の名称や組織の名称に「ソリューション」とか「顧客サービス」といった言葉を使うのはその典型例だ。ただ残念なことに、現場の社員達は目先の数字目標に追われるが故、顧客の目的など考える暇がなくなってしまうケースが非常に多い。期末が近づき予算達成の見込みが厳しくなると、経営陣でさえ手段先行で部下に指示を出してしまうのが常だ。

世の中には手段が溢れている

書店のビジネス書のエリアには、平積みされたノウハウ本が溢れている。
「~の方法」「のコツ」「~のしかた」といったタイトルの本は、手っ取り早く理解を深められそうなマジックがかかっている。概して読みやすく、あっという間に完読できるが、内容がほとんど頭に残らなかった、というような経験は誰もがあるだろう。何となく為(ため)になりそうとか、何となく面白そうといった気持ちで購入すると大概失敗する。目的無き手段の典型的な例だ。 

世に星の数ほどある資格や認定制度もそうだ。何のためにその資格を取るのか、その目的が曖昧だと、努力を重ね資格を取得しても活かせる場がないまま終わってしまう。勉強にはそれなり時間を要するので、その過程で資格を取ることが目的化されてしまいがちだ。資格は、自己のスキルや知識を客観的に評価できる有効な手段である。しかし資格取得までのプロセスはインプットのみである。その後のアウトプットのプロセスがあって、初めて活きてくることを認識しておきたい。

上司から「こんな資料を作ってくれ」とか「これをやっておいて」という指示を受けた人も多いだろう。これも、目的無き手段の悪例である。何のためにこの資料が必要なのか、何故私が作業しなければならないのか、何故似たような資料をいくつも作る必要があるのか、といった疑問に対する説明が全くなされず、ただ作業指示が出されるケースだ。質問しない部下にも問題はある訳だが、目的を提示しない上司はもっと質(たち)が悪い。考えることをしないで言われたことだけをやる社員を増産してしまう悪弊だ。目的が無い上に、その時の経営陣の好みでレイアウトや数値をいじるから、作成する資料が増える一方になってしまう。
毎週・毎月・毎年繰り返される定例の報告書も同じだ。ただ単に同じ作業を繰り返しているだけに過ぎない。作業の過程で、本当に重要な思考はほとんど存在しない。
無駄な資料、無駄な作業、似て非なる複数の資料があること、考えることをしない社員がいること、それらは全て同じ原因に帰結する。目的が明確に定められていないからだ。

流行り言葉となっているDXICTは手段そのものである。本来、新しい事業を創造することや、既存の事業を効率化・自動化することが目的のはずであり、IT技術やIT製品は手段である。昨今、「DX推進室」といった新しい組織を作っている会社は数多くあるが、DXそのものが目的化されていないか自問したほうがいい。流行に飛びつく体質は模倣が前提だから、往々にして考慮が足りず目的が曖昧なことが多いのだ。 

目的と手段の正しい使い方

目的と手段を正しく使うときの考え方は、”Why”, “What”, “How”に分けて整理することである。WhyWhatはセットで考える。どんな背景や経緯があるのか、何故やらなければならいのか、今の課題は何か、といった内容(Why)を簡潔に記述し、その上で何をやる(What)ということを明言する。WhyWhatを組み合わせて言語化することがビジネスの基本だ。
Howは手段そのものである。目的を実現するための手段の選択肢は複数ある。選択するための基準は様々だが、ビジネスでよく使う基準は効果と難易度の二軸だ。実施する難易度が低くて効果が高い手段を選ぶのがベストだ。複数の手段を講じる場合は、優先順位をつける必要があるが、これもそれぞれの手段の効果と難易度を評価していけば必然的に見えてくる。

私は多くのプロジェクトに参画を経験してきたが、目的がきちんと言語化され、社員の間で共通認識が出来ているプロジェクトは強靭である。プロジェクトにトラブルはつきものだが、強靭なプロジェクトは、どんな困難にも立ち向かえる。トラブル時には思考と行動の混乱を招くのが常だが、その時に目的という原点に帰り改めて冷静に考えることで立て直せるのだ。逆に、目的がしっかりしていないプロジェクトでは、トラブル発生を機に大炎上してしまう。目的が曖昧なので意思決定者や責任者の考えがブレてしまうからだ。

「目的は何か?」という問いを常に自身に問いかける。経営者や上司にも問いかける。その習慣を持つことで、無駄な思考、無駄な行動は格段に減り、充実した時間に転換できていくであろう。

 

FIN.   February 4th, 2022