二極化する大学と、企業の採用

日本の大学は二極化してきている。一つは、学問を追求する大学、もう一つは、職業訓練校としての大学だ。大学は教育機関としての最高峰であり、学問を追求していくことこそが本来の姿である。だが、残念ながら、学問を追求することは主流派になり得ていない。理由は、学生に人気がないからだ。

 乱立する職業訓練校としての学部学科

少子化が叫ばれているにも関わらず、直近20年間の大学の数と定員数は、減るどころか増えているのが実態である*1。必然的に生徒の取り合いだ。学生の人気を得るために、難易度が高くハードな学習を課す学部学科よりも、楽で就職に有利になりそうな学部学科の設立に大学は躍起だ。情報・・学科、総合・・学科、国際・・学科など、似たような学科名が理系文系問わず乱立しているのは、それが背景である。多くの学部学科は、職業訓練校として、社会で役立つと考えられている知識と技能を習得することに、重きを置いているのである。

 職業訓練校としての大学教育の課題

大学が、社会に役立つ知識と技能を教育することには、それなりに意味がある。多くの企業は、社員の採用に際し実践力・即戦力を重視するからだ。採用活動や新人教育に手間とコストのかかる新卒社員が、少しでも早く一人前になることは、企業にとって有難い。
職業訓練校としての大学は実践に重きを置くため、基本的に以下の流れで学習を進める。

 講義:      知識を学ぶ
 テーマ設定:   課題を与えられる
 調査研究:    情報を集める・実験する
 構造化と体系化: 論理的に整理する
 伝達:      書面化する・プレゼンする

この流れは、基本的なビジネスの進め方と全く変わらない。プロセスに沿って作業していけば、必然的に成果物は完成する。このやり方を習熟してビジネスの世界に参画すると、手際のいい、そつのない仕事ぶりで、評価されることは間違いない。
では、何が問題なのか? 多くの大学生は、上記の学習において、直線的に作業を進めていくのだ。立ち止まって、じっくり考えることはしない。ネット環境とITツールを駆使して効率的に作業し、要領良く、レポートを完成していく。そうすると、往々にして、中身はどれも似たような内容であったり、表層的だったりして貧相なレポートとなる。それぞれのプロセスにおいて、考えることがなされていないからである。

 考える訓練とはどういうことか?

考えるとは、プロセスにおいて一旦立ち止まって深く思考を巡らすことだ。

  • 何故そうなのか?
  • 本当に正しいのか?
  • それは事実か? 根拠はあるか?
  • 偏った視点になっていないか? 他の見方は出来ないか?

学問を追求するということは、上記のような批判的思考を繰り返すことにより、未知の世界・未開の地を深く掘り下げていく。考えを巡らすことで、新たな発見や違った視点が見いだせる。より中身に、深みと広がりがでてくるのだ。
他者の意見に対しても同様だ。専門家が言うことやメディアに書かれていることを鵜呑みにせずに、批判的思考で捉えなおすことで視野が広がる。思考を繰り返すことによって、自身の考えと意見が確立していくのだ。
考えることをせず、左から右に作業を流していくのは、単なる情報処理に過ぎないといえる。

現状の日本の大学教育は、情報処理人材を大量生産していると言っても過言ではない。
もちろん、このような現状の中でも、一部の優れた教授や准教授陣のリーダーシップにより、学生たちに考えることを課す講義や学科がある。但し、それが出来るためには条件がある。教える側に一定の能力が求められるのだ。学生の考えたことに対し、壁打ち相手として、正面から受け止めて返してあげなければならない。相手のレベルに合わせて、熟考を促すような助言や指摘をすることは、相応のスキルと経験が求められる。

考える訓練をされた人材、情報処理に長けた人材、そして学業とは縁のない学生生活を送る人材、これらが新卒採用の対象として毎年輩出されてくる。
採用する側の企業は、この現状に対してどう向き合うべきだろうか? 

企業にとって役に立つ新卒人材とは?

多くの学生は、社会に出て役立つと考えられている知識と技能を詰め込まれることにより、情報処理に長けた人材として輩出される。学問を追求し、考える訓練が出来ている人材は少数だ。また旧来から存在する、学業とは縁遠い学生、つまり体育会やサークル活動、アルバイトに精を出す人材も一定の数として存在する。
情報処理に長けた人材、考える訓練が出来ている人材、体育会活動に学生生活を費やした人材・・・企業はどの人材を、新卒採用として欲しいだろうか?

答えは、いずれの人材もYesである。
情報処理に長けた人材は、大体要領が良く、そつがない。業務処理能力に期待できる。多くの会社は事業の継続性を担保するために、昨日と同じ業務を繰り返し行っている。その部門への配属には最適だ。
考える訓練が出来ている人材は、洞察力が期待できる。将来、会社の中枢に据える候補として、業務を俯瞰的に見る部署に置くのが良い。
体育会やアルバイト活動に勤しんだ人材は、組織や社会活動との接点での経験がある。世の中の不合理さや理不尽さを、ある程度体感しているはずだ。従って、営業や渉外などの顧客対応で能力を発揮できる人材が多い。
もちろん、一人一人の人材の能力はピンキリであるから、採用時の見極めが大事になってくる。

新卒人材の立ち上げ教育で、気を付けることは何か?

企業での仕事には、独自の知識と技能が必要だ。業界独自の用語、社内だけで通用する略称や特殊言語、社内規程、商品知識、業務知識、ITツール等々、多くの習得が求められる。それらは新卒社員にとって、さほど苦にはならないはずだ。彼らは、真綿が水を吸うように、短期間で知識と技能を習得できるのだから。
問題は次の段階からである。それぞれに配属される現場において、実践で使うための知識と技能の習得が求められる。この段階に入ると、一つ一つのレベルが深くなり、そして幅広くなる。階段を駆け上がるように習得できる人材もいるが、立ち止まってしまう人材や、周回遅れとなる人材も出てくる。この段階で甲乙をつけるのは早計だ。早い時期から優秀であると見なされる人材は、単に要領が良いだけの場合がある。要領の良いと、深く考えることはせずとも仕事がこなせてしまうのだ。

新卒社員には、知識と技能の習得は非常に重要なプロセスだが、並行して考える訓練を課すことが重要だ。仕事をやりっ放しにすることをさせず、定期的に振り返りを行うことを課すのだ。振り返ることで、何が出来ていて、何が問題だったのか、自身を見つめ直せる。これまでやってきたことに、どんな意味があったのか、何が得られたのか、次に何を活かせることは何なのか、考えるのだ。それは、PDCAのうち、CAを実践することと同じプロセスだ。これを三か月単位で繰り返しやっていけば、必ず考える癖がついてくる。

経営者の役目は人材を開花させること

学生から社会に入ったばかりの人材の中には、考える素養を持ちながら、その機会に縁がなく、芽を出していない連中が必ず潜んでいる。経営者の役目の一つは、その人材を見つけ出し、開花させることにある。誰もがという訳にはいかないが、考える訓練を繰り返していくと、素養のある人材は、物事を多面的に捉え、深く思考を巡らし、筋道を立てることができるようになる。
業務処理能力は、経験を積み重ねれば、遅かれ早かれ誰にも付いてくる。しかし、会社を変えるための改革の立案や、新事業のアイデアを導き出せる社員は、そうそういない。

新卒で入ってくるのは、答えのある課題ばかりを解いてきた人材だ。仮に答えがないとしても、ネットを検索すれば、簡単に答えを見つけられると思っている。
そんな人材に、敢えて、どこにも正解のない経営課題を与え、正面から向き合って解くことを課してみることをお薦めする。それにより、秘めた潜在能力が芽を出し、開花してくる人材が必ず出てくるはずだから。

 

FIN.   June 30th, 2022

 

*1: 文部科学省の学校基本調査によると、大学の学生総数は増加の一途を続け、2021年度では過去最高(262万人)となっている。大学数(2021803)も新設が続き増加が続いている。