悪性病巣化した年功序列
年功序列・・・それは日本が世界に誇る素晴らしい雇用システムの一つだった。高度成長期からバブル景気に沸いた頃までの話だ。それが今や、手術不能な箇所に巣喰う悪性癌のように、企業の活力と財力を蝕み続ける存在と化している。時代を振り返りながら、年功序列システムの変貌ぶりを、データを基に紐解いていく。
年功序列とは、入社年次と年齢・在籍期間によって社員全員の序列が決まる仕組みだ。入社年次毎に社員リストがあり、昇給も昇格もその単位で評価が行われ、個々の社員の待遇が決まっていく。社内会議や懇親会などの社内コミュニケーションの場では、「何年入社の誰々」といった年次の肩書が飛び交うのが特徴だ。序列といっても、それは当該会社独自のものであって、他社や世間一般で通用するものではない。あくまで社内における人事評価と昇進/昇格/昇給、人事配置を決めるための物差しの一つであり、そして上下の人間関係を明確にするためのヒエラルキーだ。
まず、年功序列が十分に機能していた時代のデータを見てみよう。厚生労働省が毎年調査している賃金構造基本統計調査から月額給与データ(*1)を抽出した。
Figure1は大卒男性(*2)の1985年/1990年/1995年それぞれの年代別平均月額給与である。グラフを見ると、見事なまでに美しい年功序列曲線であることが分かる。新卒入社から(当時の定年である)55歳まで、順当に給与が上がる仕組みだ。加えて特筆すべきは、ベースアップ(ベア)が大きく反映されていた。ベースアップによって、在籍している社員全員の基本給が毎年一定額(もしくは一定率)で上がる。この時期は[年功+ベア]というダブルの恩恵に預かることができたのだ。グラフの例でみると、1985年グラフの40代前半の月額給与は38.4万円、それから5年経た1990年グラフの40代後半には50.9万円となり34%の給与アップだ。
この期間は激動の時代でもある。日経平均株価が4万円に迫る最高値を記録したのが1989年、その翌年1990年に土地と株が大暴落、不良債権の拡大が始まった。未曾有の好景気のあとに大不況に直面した企業は、少しでも経費を抑えるために採用抑制に走った。就職氷河期の始まりである。新卒に対して多くの企業が入口の門を狭めてしまった訳だが、既に入社している社員の処遇には手をつけなかったということが良く分かる。
次の時代を見てみよう。Figure2は1995年/1998年/2000年のデータ比較である。ここは潮目が大きく変わった時なので、短い5年間の変化を抽出した。
この5年間の特徴は三点ある。一つ目は、年功序列を特徴づける55歳までの右肩上がりの賃金カーブはFigure1から変わっていない。年功序列には手をつけていないということだ。二つ目の特徴は、20代前半から40代前半の給与水準において、3つの年のグラフがほぼ重なっている。これはベースアップがなくなったということを意味する。三つ目の特徴は、40代後半以降の中高年の給与水準が1995年をピークに下がったこと。これは業績低迷に苦しんでいた企業の破綻が続いたことやリストラの影響が大きい。給与水準の高い金融業界では1997年の山一證券破綻、翌98年の長銀破綻がその代表格だ。誰もが潰れるとは思っていなかった大企業の破綻を尻目に、多くの企業経営者と労働組合との間では、ベースアップをしないという条件と引き換えに、社員の雇用維持と年功序列の維持が約束されたのである。
最後のグラフFigure3は、2000年から2020年に至る20年間の長期データから抽出した。
この20年間は、同じ傾向で緩やかに給与水準が少しずつ変化している。グラフを見ると、右肩上がりの年功序列角度が、Figure1,2と比べて大きく下がったことが分かる。年功序列は保たれているが、長く勤めても昔ほど給与は上がらなくなったということだ。次に見て取れるのは、30代前半以降の全ての年代で給与水準が下がっている。一つの会社に長く勤め、先輩社員と同じ歳になっても、昔ほど高い給与をもらえないということだ。この期間で行われたのは人事給与制度の変更だ。長期間の間に制度変更が重ねて行われ、徐々に給与水準が下げられていった。
今回提示したデータは、あくまで統計の数値であり全産業の平均値の推移だ。本稿をご覧になった人のなかには、“うちの会社は違う”という感想を持つ人がいるかもしれない。各企業の人事制度・給与制度はそれぞれ個別に決められており、各社それぞれ事情が違うのが実態だ。もちろん年功序列を採用していない企業も数多くある。2000年以降に設立されたベンチャー企業やスタートアップ企業は、そもそも年功序列の概念など持っていない。また、血を流す改革を断行し長年続いた年功序列に別れを告げた企業もある。残念ながら、未だにこの制度を引きずっているのは、昔から存続している老舗企業や従業員を多く抱える大企業である。長期間にわたり会社が存続すればするほど、そして従業員が多くなればなるほど、自社の業績や経営方針だけではなく、経済情勢、労働市場、社会慣習などの影響を大きく受けてしまう。優れた人材を自社に引き留めておくためには、年功序列は当時の日本において標準だったのだ。今や、日本経済のマジョリティを占める大企業や老舗企業こそが、このグラフを特徴づける年功序列の呪縛に苦しんでいる。
年功序列の課題を克服するのは一筋縄ではいかない。終身雇用を前提として真面目に勤務を続けている社員の生活そのものを企業が背負っているからだ。さらに、定年の延長や、デジタル技術台頭による経験知識やスキルの陳腐化といった課題が新たに生じており、問題を一層複雑化させている。「ジョブ型雇用」や「リスキリング」といった流行言葉が頻繁に出てくるのは、この年功序列の課題が大きな背景の一つだ。過去の成功体験や経験則だけでビジネスが通用する時代は既に終わっているが、残念ながらその認識に欠ける経営者や社員が未だに多く存在するのも事実だ。思い切った改革でメスを入れるか、薬物療法のように徐々に変えていくか、それとも手術と薬物治療のハイブリッドでやるか、打つべき手段は様々ある。
今後の記事では、複雑化した問題の深堀りをさらに進めていきながら、打ち手につながる示唆をお伝えしていきたい。
FIN. February 18th, 2022
注釈
*1: 全産業の所定内給与(基本給・通勤手当を除く諸手当)の平均値。賞与は入っていない。
*2: 本稿は傾向値を計るのが目的であり、男女雇用均等法施行前からの数値も活用するため、年功序列が顕著である大卒(大学院卒含む)男性の給与額を抽出した。