行き過ぎたマーケティングは商品価値を落とす
マーケティング全盛期の時代だ。
中小企業でも一個人でも、SNSを使えば無料で世界に発信できる。ネット広告は、安価で商品やサービスをアピールできる。ホームページは、テンプレートを使えば簡単に構築できコンテンツの更新も自らで行える。誰もがやる気になれば、マーケティングを実践できる時代である。
資金力のある大手企業は、その中で少しでも目立つ広告を作りたいから、著名なクリエイターや人気タレントを使って派手に演出する。
世の中は、煌びやかなデザインとインパクトのあるメッセージに満ち溢れている。
消費者は馬鹿ではない
マーケティングは、面白ければ良いというものではない。インスタ映えする写真が拡散すればよいという話でもない。その手のことだけやっていても、いずれネタが尽きる。
大量のTV広告を投入し、騒然とした映像と音を刷り込んだとしても、それが売上に直結するとは限らない。運よくメディアに取り上げられて一時的に流行ったとしても、その光景は幻想のように消え失せることもある。
消費者は移り気であると同時に、本能的に本質を見極める能力を持ち得ているからだ。
マーケティングは良いことだけを伝えている
マーケティングの本質は、対象となる商品やサービスの魅力を如何に伝えるか、ということに尽きる。従って、日々我々が目にする広告表現(コピー・記事・映像・画像・音声)は、良いことずくめだ。それは機能や特性を直接表現するだけではなく、美しさや華やかさ、心地よさ・愛しさなど、誰もが好む情緒的な要素を盛り込んで訴えてくる。我々はそれによって、商品やサービスの名前を聞いただけでイメージが想起されるようになり、購入行動へと導かれていく。
しかし、人間には常に長所と短所、利点と欠点があるように、どんなに素晴らしい商品・サービスにも欠点は必ずあるものだ。良いことばかりアピールしていると、消費者は裏があると勘繰るので気を付けるべきところだ。
また、嘘はついていないが、誇張表現すぎるもの問題である。法律に引っかかりさえしなければよし、とする考え方は捨てるべきだ。その行為自体が、商品・サービスの価値を落としていることに、いずれ広告主は気づかされることになるのだから。
本来の商品価値に着目すべき
広告をよく観察していると、商品価値がないものほど、しつこく、そして誇張ぎみに表現していることが見えてくる。
単に、上っ面だけ着飾っても正体はすぐにばれる。つまらない商品だったら、まずは、商品に磨きをかけることだ。広告へ大量の予算を投入する前に、商品価値を上げることに予算を費やすべきであろう。少しでも早期に売上という結果を求めてくる上層部に対し、商品開発担当とマーケティング担当が毅然とした姿勢で臨めるかどうか、それによって商品の運命は決まってくる。
売りたい商品が、圧倒的なブランド価値を持ち、市場の中で独自のポジショニングを得るようになれば、無駄な広告費をかける必要はなくなる。唯一無二の価値を提供することで、消費者は自然と寄ってくるはずだ。そこには、差別化とか競争とかいった世界とは、無縁の世界が広がっている。競争しないこと、戦わないことこそが、マーケティングの究極の姿である。
マーケティングはあくまでも手段だ。商品を着飾ったり、その良さを伝えたりすることはできるが、商品そのものの本質的な価値を上げることとは別である。
マーケティングによって全てが解決できるかのような幻想に囚われることのないように十分に気を付けたい。
FIN. December 18th, 2022