合理と不合理の狭間にこそ、経営の妙味がある

企業経営の本質は、合理性の追求にある。
しかし、そこに介在するのは不完全な人間だ。不完全である人間同士が絡み合いながら、共同作業を行っていく。当然のように、理屈通りには進まず、様々な問題が生じる。
経営者は、常に合理と不合理の狭間の中で戦うことになる。

企業には合理性を追求するものが満ち溢れている

企業において、合理的な業務の代表格は会計だ。売上・利益・費用の管理に始まり、決算、税金支払いに至るまで、数字尽くめの内容だ。これは、日本の英知を集めた財務官僚により網の目を張り巡らせて作られた制度で、どの会社にも共通に適用される合理性の塊である。
従業員にとっての合理性の代表格は、職務規定と就業規則、そして人事制度だ。これらには、仕事のやり方と内容が定義され、成果を報酬に反映するためのルールが事細かに定められている。雇用主と従業員との労働契約として位置付けられるものだ。昨今では、それらの記述内容や運用の曖昧さが問題となり、見直す傾向にある。昨今の流行言葉であるジョブ型雇用はその見直しの典型であり、まさに合理性を追求しようとする取り組みと言える。
AIなどの先進技術やITに至っては、合理的であることが大前提の代物だ。これらの技術は、人が出来ることを代替するだけではなく、人知を超えた合理的な製造物を築き上げられるようになった。
また、経営者たちを顧客としているコンサルティングファームは、戦略論を始めとした様々な経営理論を掲げ強烈な啓蒙活動をしている。それらの内容は、冷酷なまでに理路整然とした主張で首尾一貫としたものとなっている。

こうして振り返ってみると、企業経営には、合理性を求める荒波が次から次へと押し寄せてきていることが実感できる。その背景は、グローバル化・スピード化・オープン化・複雑化といった要因がある。ゆったりとした時間軸の中で、他から影響や干渉も少ない状況であれば、合理性などといった小難しい理論など翳さなくても、経営者自らの判断で、間違えることなく方針を定めることができた。ところが今は、そのような状況下ではなくなっている。
合理的な”物差し”がないと、誰もが道に迷ってしまう状勢と言える。

必然的に不合理なこと

冒頭に述べたように、人は不完全な生き物である。人の意思と感情は、安定し続けることはなくいつも不安定だ。健康状態に至っては、自身でコントロールすることも困難である。そして我々は、機械やコンピューターと違い、よく忘れるし、よく間違える。また、平気で隠し事をしたり嘘をついたりする。
企業はこのような不完全な人間たちで構成されている組織体である。当然、人間同士の軋轢や対立が起こる。内輪もめや縄張り争いも起きてくる。上長からの目標達成の圧力にさらされた社員が、やってはいけない行動をしでかしてしまう。権力的地位にある役職者が、横暴な振る舞いや独断専行をしてしまう。これらの行動は、人間が持つ本能的な不合理性からくるものだ。
世界に目を向けると、2022年に発したロシア・ウクライナ戦争は、我々の常識が通用しない全く不合理なことである。企業活動がグローバルになればなるほど、政治情勢や民族性、商慣習の違いに悩まされる。
さらに深刻な問題として、気候変動とそれに伴う災害には、これから長期間に渡り悩まされ続けることになるだろう。


合理性と不合理性の狭間にこそ経営がある

合理性から導かれてくるセオリーは正論である。しかし、その正論通りには絶対にいかない。常に不合理性が付きまとうからだ。
企業経営は、合理性と不合理性の狭間を行ったり来たりするようなものである。そこには正解は無いし、正しい道が敷かれているわけでもない。
従って、思い通りにいかなかったり問題が起きたりすることを嘆くのではなく、それを当たり前と思うことが大切だ。
問題解決することで、人は進化する。
経営者自らが、謙虚な姿勢で問題に対峙し、そして従業員たちとともに解決への道のりを楽しむことができれば、必ず道は見つかるはずだ。

FIN.    January 8th, 2023